私の通う喫茶店の、いつもの席のノートには、上京してきた人たちの「最初の部屋」の話が、何十も溜まっている。進学で、就職で、あるいは誰にも言わずに東京へ出てきた人たち。その一人ひとりに、いちばん最初に借りた一部屋がある。私はそれを、コーヒー一杯分の時間をもらって、聞き書きしてきた。
先にことわっておく。ここに書く語り手は、実在の特定の誰かではない。何人もの似た顛末を束ねて、一つの声に組み直した仮想の例だ。それでも、語られる分かれ道はどれも本物で、上京の季節が来るたびに、同じ場所で人はつまずく。今日はそのノートから、最初の部屋を決めるときに現れる、いくつかの分かれ道を取り出してみたい。
もう一つ、白状しておく。私は自分の一部屋目で、盛大に失敗した人間だ。家賃の安さだけを見て決め、駅から遠い坂の上の部屋で、二年ぶん通勤に音を上げていた。だからこの聞き書きは、半分は誰かのため、半分はあの部屋の供養でもある。金額のことは、この文章ではあえて断定しない。家賃も初期費用も、地域と時期と物件で、まるで変わってしまうからだ。ここで渡せるのは、数字ではなく「決め方の順番」だ。
予算より先に、通う場所と時間帯を決める
「家賃で絞ってから、駅を選びました」——と、その人は言った。上京したばかりで土地勘がなく、まず出せる家賃の上限を決め、その範囲で借りられる部屋を地図に並べていったという。理にかなって聞こえる。けれど半年後、その語り手は毎朝の満員電車に降参していた。乗り換えが二回あって、始発でも座れない路線だった。
こういう話を、私は何度も聞いた。最初の部屋選びで先に決めるべきなのは、予算ではなく「自分が毎日どこへ、何時に通うのか」だ、と。学校か、職場か、バイト先か。その場所へ、朝のいちばん混む時間帯にどう向かうのか。乗り換えの回数、駅までの徒歩、終電の時刻。そこを先に固めてから、通える範囲の中で、予算に収まる部屋をさがす。順番が逆だと、安いのに通えない部屋をつかんでしまう。
別の語り手は、こう言って笑った。「職場まで四十分以内、乗り換えは一回まで。それだけ決めて、あとは駅の数を絞ったら、部屋探しがすごく楽になりました」。条件を全部いっぺんに並べると迷うが、通勤の一本だけ先に引くと、地図がぐっと狭まる。私のノートでは、最初にこの一本を引けた人ほど、あとで揉めていない。
内見は、昼と夜の二回。駅からの道を自分の足で歩く
「内見は夜でした。窓を開けたら、隣のビルの壁まで四十センチだった」——と、その人は言った。昼なら気づけたはずの圧迫感が、夜の内見では分からなかった。逆に、昼だけ見て決めた人からは、「夜になったら駅からの道が真っ暗で、女性の一人歩きにはつらかった」という話も聞く。
だから私は、聞き書きのたびに同じことをすすめている。内見は、できれば昼と夜の二回。時間帯で、部屋も街もまるで顔が変わる。昼は日当たりと騒音、夜は帰り道の明るさと人通り。同じ物件でも、見る時刻を変えるだけで、住んでからの落ち着きがずいぶん違ってくる。
そしてもう一つ。駅からの道は、不動産会社の車で送ってもらうのではなく、一度は自分の足で歩いてみてほしい。「駅徒歩八分」と書いてあっても、その八分に急な坂や、夜に人けの絶える区間がまざっていることがある。雨の日を思いうかべながら歩くと、地図の数字だけでは見えない距離が見えてくる。「歩いてみて、坂だと分かって、やめました」——この一言を、私は何度ノートに書き写しただろう。
「ふつうの賃貸」か、シェアハウス・家具付きか。持ち物と暮らし方で選ぶ
最初の部屋には、大きく二つの道がある。一つは、自分で家具や家電をそろえて住む「ふつうの賃貸」。もう一つは、家具付きの部屋や、キッチンや水回りをほかの入居者と分け合うシェアハウスだ。どちらが上ということはない。分かれ道は、持ち物の量と、暮らし方の好みのほうにある。
シェアハウスや家具付きの住まいを考えるなら、ふつうの賃貸とは違う点を、先に押さえておくといい。私のノートから、判断の材料になりそうなことを並べてみる。
まず、共用部の使い方。キッチン・浴室・洗濯機をほかの人と分け合う形だと、掃除の当番や物の置き方に、住む人どうしの約束事がある。人との距離が近いのを心地よく受け取る人もいれば、窮屈に受け取る人もいる。次に、契約の形。シェアハウスは一般の賃貸借とは違う契約になっていることがあり、退去の予告や最低利用期間の決まりも独特だ。最後に、初期費用の組み立て。敷金・礼金のかわりにデポジットや管理費という形をとることが多く、家具家電を自分で買わずに済むぶん、入り口の負担の内訳が、ふつうの賃貸とは違ってくる。
自分に向くかどうかは、いくつか問いを立ててみると見えてくる。荷物は多いか、少ないか。家にほかの人の気配があることを、心強いと受け取るか、疲れると受け取るか。東京にいる期間は、腰を据える予定か、数か月から一年くらいのつもりか。荷物が少なく、初めての土地で人とゆるくつながっていたい人には、家具付きやシェアハウスがなじみやすい。反対に、荷物が多く、一人の時間をしっかり確保したい人は、ふつうの賃貸のほうが向くことが多い。
判断の材料をそろえたうえで、「では、どんな事業者があるのか」を見てみたい人のために、東京で部屋をさがせるサービスの一例を、二社だけ挙げておく。どちらかを勧めるものではなく、条件を見比べるための入り口だ。
以下は広告(PR)です。二社を対等に並べています。どちらか一方を勧めるものではありません。家賃・初期費用・最低利用期間・空室の有無は、時期や物件によって変わるので、条件・費用・空室は各社の公式でご確認ください。
ここで一つだけ。私自身の失敗を思い返すと、家具付きやシェアハウスは「初期費用が軽そう」という理由だけで飛びつくと、月々の管理費や最低利用期間で、あとから計算が合わなくなることがある。空室のあるなしも、時期でかなり動く。気になった事業者があれば、費用と契約期間、そして今その部屋が空いているかを、各社の公式で確かめてから動いてほしい。
まず、何から手をつけるか
聞き書きのノートを、動く順番に並べ直してみる。はじめに、自分が毎日通う場所と時間帯を決める。次に、そこへ無理なく通える駅と範囲を絞る。その範囲の中で、予算に収まる部屋をさがす。気になった部屋は、昼と夜の二回、駅からの道を歩いて確かめる。そのうえで、持ち物の量と暮らし方から、ふつうの賃貸か、家具付き・シェアハウスかを選ぶ。費用や契約、審査の条件は、地域や物件、時期で変わるから、最後は各社や管理会社の公式と、実際の見積りで確かめる。
契約の中身や重要事項の説明で分からないことが出てきたら、その場の勢いで判こを押さず、宅地建物取引士のような専門家に確かめてから決めてほしい。急かされて署名して、あとで悔やんだ——という顛末も、私のノートには少なくない。
最初の部屋は、たいてい理想どおりにはいかない。それでいい。私の坂の上の部屋も、いま思えば、失敗ごと自分の一部になっている。あなたの一部屋目が、完璧でなくていいから、朝すこし通いやすくて、夜すこし帰りやすい部屋でありますように。そのための順番だけ、この聞き書きが渡せていたなら、それでいい。
引っ越しそのものの段取り、荷物やネット回線をいつ決めるかが気になったら、住み替えの「あいだ」の段取りも、動く順番の参考になるはずです。
参考
-
国土交通省(賃貸住宅・原状回復をめぐるトラブルとガイドライン)
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000023.html -
東京都住宅政策本部(都内の住まい・賃貸に関する情報)
https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/ -
国民生活センター(賃貸・引っ越しに関する相談事例)
https://www.kokusen.go.jp/
・住み替えの「あいだ」の段取り:退去日と入居日がずれたとき、仮住まい・荷物・ネット回線を決める順番